この時期になると、エアコンなどで揉めることもあるでしょう。
そんなときは、我慢するよりも、合わせているという感覚がいいのかもしれません。
我慢しているというよりも、合わせているという感覚です
夏の時期になると、エアコンをどうしようかという問題がでてきます。
私の家では、
- 暑い派⇒妻、長女、次女
- 寒い派⇒私
という、普通の社会では考えられない?逆転現象が起こっています。
テレビなどで見ると、男性がオフィスでエアコンの温度設定が高いといって文句を言います。
そして、女性がエアコンの温度の設定が低いと言って文句を言います。
私の家では、私が寒くて、私以外が暑いということになっています。
全員が同じ部屋に寝るのですが、エアコンと扇風機をつけています。
私は寒いので、ロンT着てジャージはき、風が来ないように防御します。
温度が合わないのは、なかなかのストレスですね。
昔の父親なら、「俺に合わせろ」ということになるのでしょう。
自分が今の父親とは思っていませんが、合わせているという感覚です。
それで平和が保たれているなら、そんなもんかなって思っています。
しかも、数的不利ですからね。
自分の親の世代はどうだったのか?
たまに、妻から私の子供の頃の家がどんな家だったか聞かれるんですが、完全な昭和の家でした。
父親は、いつものところに座っていて、なにを取るにも他人を動かすという、本当の昭和の父です。
じゃあ、自分が父親の立場になると、自分もそうするのかというと、そんなことはまったく考えていません。
まだ子供も小さいので、「そこのティッシュ取って」くらいでしょうか。
それ以外は、頼むこともできませんし、することもありません。
父親の世代だと、弱々しく映るのかもしれませんが、そんな感じなのかと思います。
自分の母親にも「お父さんは、そんなことやったことないよ」と、よく言われます。
まあ、最近は抱っこひもを父親がしているケースも良く見かけますし、時代は変わってきていますよね。
お家の平和を保つためには、合わせてる、合わせてやってるくらいの、余裕がある方が良いかもしれません。
私の場合は、暑いことや寒いことは、そんなに重要事項ではないですからね。
ちなみに、昭和の父親のそばにいていつもモノを取っていたので、他のなにが欲しいかなんとなくわかるようになりました。
これは、これでメリットだと思います。
我慢しているというよりも、合わせているという感覚ですのまとめ
これからも合わせて行くのだとおもいますが、そんなもんかなと思っています。
我慢していると思ったら苦痛ですが、合わせている、合わせてやってるくらいの余裕がある方が良いかもしれませんね。
編集後記(1548)
朝公園に行って、その後に買い物に行きました。
55日記(1878)
公園で自転車に乗ったのですが、めずらしく転びました。
ひじから血が出しまいましたが、泣かなかったのはすばらしいです。
66日記(1105)
公園で補助付きの自転車を乗りました。
「じぶんでやる!」と言っていたのですが、うまくこげなくて「たすけて~」と言っていました。